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東日本大震災復興支援

私が見た被災地の現状 --復興と未来を見据えて-- 山本清掃代表取締役 山本敏裕

東日本大震災で被災された皆様に衷心よりお見舞い申し上げます。 先般、わたくし山本敏裕が被災地の岩手県を訪れ、実際にこの目で、この肌で感じたことを少しでもお伝えしたいと思います。 ※文中の団体・個人名敬称略

「自分にできることは何か?」という葛藤の中で

3月11日。大きな地震とそれに伴う津波の影響により、東北地方太平洋沿岸部を中心に甚大なる被害をもたらしたことをTVの報道を通じて知りました。翌日もそのまた翌日も、映像を通じて被災地の様子が届きます。
その惨状を知るにつれ、居ても立ってもいられない気持ちになりながらも、「自分にできることは何か?」、そんな自問自答を繰り返すばかり。
そんな中、社員から提案があり、集めた古着を義援金に替えて贈る、『みんなの着もちプロジェクト』をスタートしました。

多くの企業様や個人の方から順調に善意が寄せられましたが、それでも「自分にできることは何か?」という葛藤は続きました。おそらく日本中で多くの方が同じ思いであったのではないでしょうか。

全清連からの参加要請

被害の詳細を知るにつれ、気持ちははちきれんばかりに膨れる一方で、「私がすべきこと」は見つかりませんでした。
そんな私のもとに、全清連(全国清掃事業連合会)から、「環境省から支援依頼があった」との一報が入り、支援部隊への参加要請がありました。私は参加を即決し、先遣隊として当社部長の髙井、他県の全清連のメンバーとともに岩手県へと向かいました。髙井は阪神淡路大震災の際にも支援活動に参加した経験があり、私にとってこれ以上ないパートナーです。
そこで私たちが見たものは、報道で知る知識をくつがえすほどに甚大な被害を受けた被災地の現状。目を覆いたくなるほどの被害の実態でした。


志を共にしてくれた社員と家族への想い

東日本大震災

先遣隊として岩手県に3日間滞在し、被災地の状況を見てまわり県と国の関係セクション要職の方とミーティングを終えて京都に戻った私たちは、社内で支援活動への参加希望を募りました。
多数の社員が志願してくれましたが、通常業務との兼ね合いもあり代表2名を選び、私たち(山本・髙井)と計4名が現地へ向かうことを決定しました。

当時はまだ、東北地方では強い余震が昼夜問わず頻繁に起こり、また数日前に先遣隊として現地入りした際に感じた恐怖感、思わず立ちつくすような光景が鮮明に記憶に残っていたため、社員の心意気に目頭が熱くなる一方で、「彼らはもちろん、その家族のために絶対に安全を担保しなければ」という義務感はとてつもなく大きなものでした。


肌で感じた凄まじい現実

作業中

潮と泥と生ゴミと(消毒薬代わりに撒かれた)石灰が混じった何とも言えない匂い、ゴーグル無しに目も開けられないほどのホコリ、自然の猛威という言葉が陳腐に感じられるほど何もかもがぐゃぐしゃになった街。そして4月とは思えぬ身を切るような寒さ。テレビでは知ることのない現地の様子です。
しかし、これらの身の縮む思いは結果として私を奮い立たせました。ずっと抱いた葛藤を払拭させてしまうほどに衝撃的なものでした。生涯忘れることはないと思います。

私たちの支援地は大槌町でしたが、宿泊地は盛岡市内で、毎朝片道3時間以上かけて往復しました。これは安全確保のためだけでなく、被災地近辺にボランティアが宿泊することで、自衛隊や警察の活動の障害とならないようにする意味もありました。
現地に行った人間誰もが感じると思いますが、自衛隊や警察無くして、この震災の復興はあり得ません。
彼らの存在が、被災地に安心感と規律を与え、不安な生活の中で落ち着きを取り戻す要因となっているようでした。

毎朝6時に宿泊地を立ち、車両基地まで2時間、そこから大槌町まで1時間かけて辿り着きます。そしてひたすら震災ごみの処理に当たりました。重機を極力使わず、丁寧に作業することが求められました。
そして瓦礫の中からアルバムなど思い出の品であろう物を見つけた時には、専用のカゴに入れて作業に立ち会う住民の方に委ねました。

自衛隊が奮闘している、警察も役所も休日を返上して動いている。そして被災された方の懸命な姿。自分が体感すればするほど、現地で活動を続ける方々に敬意を抱かずにいられない。それが被災地の本当の姿でした。


現場で見えた光

ある日、作業を終えた私たちが避難所に立ち寄ると、近くにいた女性の方が、「ご苦労さまです。本当はお茶でも出さないといけないんだけど、何もなくてごめんなさいね」と声をかけてくださいました。厳しい寒さの中、僅かな食料と毛布1枚で耐えておられる被災者の方から、逆にそんな優しい言葉をかけていただき、疲れ切った身体に力がみなぎったことは言うまでもありません。同時に、自分が逆の立場になった時に果たしてそのような心遣いができるかと思わず自問自答していました。

支援物資は届かない、着のみ着ままで難を逃れた人々が強いられた状況の深刻さは想像を超える苦難の日々です。
そのような状況下で私が目にした希望。それは子供たちでした。
瓦礫の上で無邪気に遊ぶ子供たち。危険だと思うよりも、私は復興への確かな道筋が見えたような気がしました。
子供たちの笑顔は被災地の最大の明かりです。彼らこそ日本の未来である。本当にそう確信しました。
神社 作業前~作業後

京都に戻って

山本清掃トラック

京都に戻り、私をはじめ支援活動に参加したメンバーが自分たちの体験を社内に伝えたところ、嬉しいことに多くの社員が『みんなの着もちプロジェクト』のために一斉に古着を持って集まってくれたのです。
同僚が目の当たりにした凄まじい自然災害の様子やそこで感じた思いを共有することで、皆が何か出来ることはないかと考えて行動してくれた結果でしょう。再び私は目頭が熱くなりました。

同時に、経営者として自社の危機管理体制の見直しと、全社をあげて防災意識の高揚を図ることを心に誓いました。


今後、被災地の復興には長い年月がかかります。支援は一時的なものであってはなりません。私も山本清掃という会社もその点を踏まえて長期的な活動に入ります。まずは『みんなの着もちプロジェクト』を推進し、少しでも多くの義援金を継続的に捻出できるようにしたいと思います。


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